坂の上の雲について そこから考える
以下の事例は、チャットGPTに質問をして作った問題です。
3つを支持して作ってもらいました。
その3つは
・坂の上の雲に関する質問を作って
・歴史に関すること
・中学生に解いてもらいます。
チャットGPTの反応として
以下は、『坂の上の雲』に関する歴史的な質問です。中学生向けに、理解しやすくかつ興味を持ってもらえるよう工夫しています。
それが以下の質問です。
『坂の上の雲』は、日清戦争と日露戦争の時代を背景に描かれています。これらの戦争に勝利したことで、日本は国際的な地位を向上させました。
質問 日清戦争と日露戦争の結果、日本はどのような影響を受け、国際社会でどのような変化を迎えましたか?
第4回の再放送が9月30日(日)にありました。
秋山真之は、東京大学予備門を中退して海軍学校に入学。
当時は築地にあり、その後広島の江田島に移転。
帰省して古里に帰った時に、子規の妹の律が離婚していたことを知りました。
一方、秋山好古は、当時の騎馬隊はフランスよりもドイツのやり方が主流になっていた中、旧松山藩の子息のお目付け役としてフランスに留学。
お殿様からの要望に何も答えずに最後に承諾したのは印象的でした。
さて、江田島は広島の呉市にあります。
事務所の慰安旅行でも道後温泉、広島へ行きました。松山市からフェリーで呉市に入りました。
呉市は、大和ミュージアムやくじらか館に行きました。
第3回の再放送が9月22日(日)にありました。
愛媛の方言かもしれませんが、「だんだん」という言葉をよく聞きました。意味的には「ありがとう」です。
東京大学予備門。
そこには、塩原金之助(のちの夏目漱石)
秋山好古氏の好きな人物は、福沢諭吉
第2回の再放送が9月15日(日)にありました。
そうなんだと思ったことは、その当時松山から東京に行くのに、松山から神戸港に行き、そこから横浜港
横浜から東京へ蒸気機関車で行くという経路でした。
その当時の日本は、治外法権のため外国人を裁くことが出来なかったこと。(漫画家の蛭子さんが出演されていました。)
貿易港である横浜には、多くの外国人がいました。
治外法権は、日米修好通商条約で決まりました。
共立学校(のちの開成中学・高校)正岡子規と秋山真之が学んでいました。そこに高橋是清氏が教鞭をとっていました。
今から140年前の話です。140年といえば、4,5親等前の話です。よほど由緒正しい家でなければ家系図は残されていません。
日本には、戸籍制度がありますが、150年まで伸びました。(以前までは80年だったため戸籍謄本の保存がないとありました。2010年6月まで)
相続の時も、亡くなった方の戸籍が分ればそれ以上は調べません。
9月8日(日)に坂の上の雲 再放送始まりました。
みなさんご覧になりましたか?
第一回目の放送には
廃藩置県や西南戦争のことも軽く触れられていました。秋山家はお金がなく、養子に出すという話もありました。
事務所の慰安旅行で四国の松山、広島の呉や宮島に行きました。行った年は2012年9月でした。
今から12年前、そのときはテレビで放送が終わっていた年でした。
松山では、道後温泉のふなやに泊まりました。理由は簡単。
「坂の上の雲」に出てきたので泊まってみようという感じ提案しました。
もちろん、坂の上の雲ミュージアムも松山城、秋吉兄弟の生誕地を訪れました。
四国・松山と広島のJRパスが販売されていたのでそれを利用していきました。
今でも、松山・広島割引きっぷが販売されています。
この本は、明治維新、日清戦争、日露戦争のことが書かれています。
家族でも2024年3月末に四国を回っていたときに、道後温泉や坂の上の雲ミュージアムに行きました。
私自身、坂の上の雲ミュージアムは、2012年以来、2回目の訪問でした。
一度テレビで見たので、坂の上の雲が掲載されていた新聞のレプリカが壁一面貼られていたので圧巻でした。
入り口では、DVDが上映されていたので、欲しいと思いましたが価格的に手が出ませんでした。
それが8月頃に再放送するのでやったという感じでした。
小学生向けの簡単な質問を作りました。
それでも結構考える内容です。
チャットGTPに作ってもらいました。
『坂の上の雲』は、明治時代という日本が変わっていく時代が舞台です。
質問 明治時代に日本はどんな国になろうとしていましたか?どんな変化があったか知っていることを教えてください。
日露戦争での日本海海戦は、重要な戦いでした。
質問 日本は日露戦争の日本海海戦で、どんな工夫をしてロシアに勝ったとおもいますか?
秋山好古や秋山真之、正岡子規は『坂の上の雲』に登場する重要な人物です。
質問 秋山兄弟や正岡子規は、どんなことをして日本のために働いたかと思いますか?
タイトルには特別な意味があります。
質問「坂の上の雲」という言葉から、どんなイメージが思い浮かびますか?その言葉が何を意味していると思いますか?
戦争とお金
司馬遼太郎先生が言っていたように、戦争は良くないです。第2次世界大戦が最低の戦争と言っていました。
戦争はお金がかかります。国債や世界からお金を借りるために動きもありました。ドラマにもその辺が出てきます。
相続税の勉強でも、日露戦争の戦費調達でスタートしたのは知られています。
ペリー来航 1853年
日米和親条約 1854年 (貿易のみ)
日米修好通商条約 1856年
大政奉還 1867年
戊辰戦争 1868年~1869年
西南戦争 1877年
日清戦争 1894年
日露戦争 1904年
日露戦争が終わっても、今現在でも相続税はあります。
亡くなった方の10%の方が相続税の申告に係ってきています。
戦争があると、戦費調達のために税金が上がっています。
1905年 相続税が導入されました。
当時の資料によると、最高税率55%です。
現在の相続税の税率も最高で55%です。
当事務所では7千万円~3億円未満のお客様を対象としています。
もし3億円を超えるようなお客様は、何かしら税理士事務所や信託銀行等に相談している可能性が高いと思います。
武士の最後の戦争 西南戦争
1回目の放送のときに、ナレーターが日本での最後の武士の戦争「西南戦争」のことを語っていました。
マークスでも2011年9月に九州に慰安旅行に行きました。鹿児島の知覧の富屋食堂と島津藩の武家屋敷そして、震災前の熊本城です。
この旅行を通して歴史を学びたいと思う気持ちが強くなりました。
これから、相続対策をするにあたっても同じことが言えるのではないでしょうか。
自分のルーツを知る。どのような思いで生きていたのか。